夢や目標を叶えてしまった先って、次は何を目標にしているの?
と、YouTubeの対談動画を撮影している際に質問されたことがありました。
これについてその時、自分は明確な答えが頭に浮かばず言葉に詰まってしまいまったのですが、それ以来、夢や目標を叶えてしまった先に自分は何を考えることになるのだろう?という事を考えていました。
みなさんにもそれぞれ夢や目標というものがあると思います。
例えば大きな事で言えば、素敵な相手と結婚をする、マイホームを建てる、子どもを授かる、世界一周旅行をする…
もっと小さな物でも構いません。
車を買う、温泉旅行に行く、高級なレストランで食事…
それが自分の夢や目標であればどんなものでも構わないと思います。
ただ、夢とか目標っていざ叶ってしまったら思っていたのとなんか違ったな、という事が普通の感覚なのではないかなと思っています。
何が言いたいかというと、夢とか目標って今現在の自分にはすぐに叶える出来ないことだからこそ夢とか目標というものになるわけですよね。
わかりやすくなるかどうかわかりませんが例えば登山に例えてみるとするなら、山のふもとから出発し、途中岩場を歩いたり崖を登ったり、時にはあきらめようかという思いと戦いながら、大変な思いをしてその山の頂上を目指しますよね。
でも、考えてみてほしいのですが、いざたどり着いたその山頂で見る景色や頂上で飲むコーヒーの味自体にそこまで大きな感動があるでしょうか?
もちろん見たい景色が見られたことや味わってみたいものが味わえたことへの感動はあるとは思いますが、山頂の景色自体は今の時代写真や動画で見ることが出来るし、コーヒーの味は喫茶店で飲んだものと正直変わらないのではないでしょうか?(これは例え話なので登山が好きな方などを批判する意味ではもちろんありません)
では、山の頂上に上ることすなわち夢を叶える事に何の意味があるのか?となると、結局のところ「山の頂上を目指して、努力や苦労を経てそれを達成した」というその事自体に意味があるのだと思うのです。
山の頂に辿り着く過程で努力して工夫をすることで成長した自分自身に価値があるのだと思います。
そして、ひとつの山の山頂を制覇した時、きっとまた次の山に登りたくなるでしょうし、その際には技術や能力も成長している事でしょう。
要は夢や目標というものも、叶うこと自体に意味があるのではなく、その夢や目標を叶えることで成長した自分自身に価値があるし、喜びがあるということです。
そしてその成長した自分が、今現在の自分からは考える事も出来ないような大きな次の夢や目標を見つけてくれると考えています。
もちろんただ単に「過程が大事」「努力が大事」と浅はかなことを言っているわけではなく、あくまでも本気で夢を叶える事によって初めてその過程や努力が報われるのだと思うのです。
冒頭にあった質問に対する答えとは少しズレているのかもしれませんが、今の夢や目標の達成はさらに次の夢や目標を見つけるためのものと考えて、いつまでも人としての成長を続けていきたいなとそんな事を考えています。
少々説教くさく乱暴な文章になってしまいましたが、夢や目標に向かう事に対する自分の考えを文章にしてみました。
お読みいただいた誰かのお役に少しでも立てたら幸いです。