突然なんですけど、今ですね、昼間からラーメン屋のカウンターでキンキンに冷えたビールを飲みながらこれを書いてます。
もちろん仕事は(一応)ちゃんとこなした上でのオフです。
お酒好きな人にしかわからない幸せかもしれませんが、こういう変わった日常ってちょっと嬉しいひとときじゃないですか❓
この件に限った事ではなく、世の中の「うらやましい」ように見える事のほとんどは、実際にやっている本人からすると大した事ではないことって実は多いと思うのです。
例えば、他の人がなかなか乗っていないスポーツカーを買った、とか、なかなか予約の取れない有名なお店でディナーを食べた、とか、大小含めた「うらやましい」に関わることほとんど全てに当てはまる事です。
あ、だからと言ってうらやましがるなとかそういう意味では決してないです。
他人から見てうらやましく思われることのほぼ全ては、結局それが本当にうらやましいと思われるに足ることなのか、実はそれほどではないことなのかどうかは、それを今実現させている当人にしかわからないものなのです。
ただ、だからと言って、誰々があんなの別に楽しいものじゃないって言ってたよ、とか、ネットにあんなもの実際やってみたら別にいいものでもなんでもないって書いてあったよ、とか、自分以外の他から情報を入れる事によって、まさに自分がうらやましいなと思ったことを実現させないままにしてしまうのは、とんでもなくもったいない事だと思うのです。
あなたがうらやましいと思ったそれは、実際にやってみたら想像していた数百倍楽しいことかもしれないです。
もちろん逆に全く楽しいものではないかもしれないです。
でも、一つ強く思うのは、赤の他人がどう言ったからって構わないじゃないですか。
ネットにどう書かれていようが関係ないじゃないですか。
自分の楽しいは他人が決めるんでしょうか?
自分が決めるんじゃないんですか?
実際やってみて本当に他人に言われた通りつまらない事だったとしたらそれはそれでいいじゃないですか。
なんなら話のネタに出来るくらいに考えればいいじゃないですか。
それくらいの気持ちでいないと、何事もやりたい事を目指す原動力がなくなってしまいます。
情報や知識というものは、やらない理由を探すために漁るものではなくて、自分がなりたい自分を目指すための原動力のために利用しましょうよ。
やりたいことが見つけられない人って、顔も知らない赤の他人の情報を鵜呑みにしすぎなんじゃないかと思うんです。
人は失敗談やネガティブな情報ほど積極的に発信したがるものです。
顔も知らない匿名の環境ではなおさらです。
もっと自分のふとした「やりたい」という気持ちを正直に信じてみると人生がより楽しくなるんじゃないかな?などと考えながら、今、三杯目のビールを注文したところです。
今日はお酒のつまみにふと考えてみたことのお話でした。