本来のワークライフバランスの意味を考える
今流行りのワークライフバランスという言葉ありますね。
私この言葉あまり良くないと思っています。
というと語弊があり、この言葉や意味自体は非常に良いことだと思っています。
ただ、この言葉の意味を勘違いしている人がたくさんいるように感じるからです。
まず、ワークライフバランスとは、内閣府によると「仕事と生活の調和を目指すこと」と定義されています。
にも関わらず多数の人が「仕事の時間を減らしプライベートの時間を増やす事」だと考えている節があるように見えます。
同じじゃない?と思う方も多いかと思いますが、これ全く意味が変わってしまっています。
そもそも生活を充実させるためには何が必要でしょうか?
まずは自分が満足する生活をするために充分なお金が必要です。
自分や家族が満足する生活を送るために充分なお金を得ようと仕事の時間を増やしたり質をあげたりする事は、ワークライフバランスの意味から外れているわけではないにも関わらず、労働者に対しても企業に対しても、この本来の意味でのワークライフバランスから外れた、プライベートの時間を増やすという事だけが重要視される風潮となってしまっています。
もちろんこの間違った意味でのワークライフバランスを望んでいる人も中にはいるとは思いますしそれがいけないわけではありません。
でも、もっとバリバリ働いて自分の望む生活をするために必要なお金を稼ぎたいというような考え方が肩身の狭い思いをしてしまう、この事自体が回り回って労働者の労働意欲を削ぎ、日本のGDPを下げ、福祉や医療に回すお金が足りなくなり、子育てしにくい世の中を形成し、さらに労働者人口が減少するという悪循環を作っていると思えてなりません。
働きたいのに仕事がないという人がいます。
そりゃそうです。
今では企業側ですらこのワークライフバランスという言葉を逆手に取り、守りに回っているからです。
というより世間の風潮からそうせざるを得なくなっているのです。
働く意思もあって体力もある世代が働きにくい社会になってしまっています。
間違った意味のワークライフバランスという言葉に惑わされず、この言葉の本当の意味を理解して、自分の意思で望む自分になるために仕事をする事が出来る風潮になるといいと思います。
望む事は何も悪いことではありません。
もちろん人並みの生活を送ることが出来れば良いという考え方もあるでしょう。
しかしその人並みの生活という言葉ですら望まなければ手に入らないし、その人並みというものがどんどん低下してきています。
これを、国が悪いとか政治が悪いという声を上げる人はいますが、本当にそうでしょうか?
本当に悪いのは、望むということを悪と考える風潮ではないでしょうか?
少し飛躍しすぎな考えかもしれませんが、近年のSNSなどの普及が原因で、自分の頭で考えるという事が出来なくなってしまった人が増えたように思います。
ネットワーク上の情報が本当に正しいかどうかは、結局自分の目で見たものや自分で経験した事でしか確かめられないはずにも関わらず、SNS上で入手した情報をさらにSNS上で確認をし、あたかもそれが自分の頭で考えたものであるかのように錯覚をしてしまいます。
こんなSNS上の群集心理が、今の「望む事は悪」という考え方の世の中を助長しているんじゃないかなとなんとなく思っています。
最後は話が飛んでしまいましたが、今流行りのワークライフバランスという言葉の本来の意味とそれにまつわる自分なりの見解を書いてみました。