ルールと感謝の関係
みなさんの周りにもたくさんのルールというものが存在すると思います。
憲法とか法律とかの非常に強く大きな、人が生きる上で絶対に犯してはならないルールであったり、会社や家族の中の小さなルールだったり、みんな大小様々なルールに囲まれて生きています。
今回はその中で誰の周りにもある小さなルールというものに視点を当ててお話しさせていただきます。
ルールとは本来、人を守るためにあります。
ミスを減らすためであったり、不公平をなくして特定の誰かだけに負担が偏ったりしないようにするためのものです。
なのでルールそのものはもちろん悪いものではありません。
むしろ規模が大きくなればなるほど、より多くのルールが必要になります。
ただ、ルールが増える事でなぜか感謝という大切な気持ちが消えていってしまうことがあります。
これはある事柄においてルールが出来た瞬間にそれは人の心の中で「好意」の気持ちから「義務」に変わってしまうからです。
誰かが自分のために動いてくれた時、人はその好意に感謝します。
でもそれがルールになると、受け取る側は、ルールだからやっているだけだと思いやすくなります。
こうなった瞬間に、相手の行動の奥にある気持ちや努力が見えなくなります。
例えば、
誰かが確認してくれている。
誰かが報告をまとめてくれている。
誰かが掃除をしてくれている。
誰かがミスを防ぐために先回りしてくれている。
最初これはとてもありがたいことだったはずです。
でもそれが仕組みとして組み込まれると、途端に人はそれを義務だからという事で感謝の気持ちが薄まります。
義務に感謝する事は意識をしていなければなかなか出来ないものです。
さらにもう一つルールが増える事の弊害があります。
それは、権利意識が強くなってしまうという事です。
本来は、みんなが働きやすくなるために作ったルールなのに、いつの間にか、自分は当然これをしてもらう権利があるという受け取り方に変わってしまいます。
当然の権利と考えた瞬間それもまた人はその行為に関して感謝をしなくなります。
感謝とは、相手の行動を“当たり前ではないもの”として受け取った時に感じる感情だからです。
なので逆に言えば、与えてもらった好意を当たり前の権利として考えた瞬間に感謝の気持ちは消えます。
これではお互いの関係は良くなりようがありません。
だからと言って会社であっても家庭であっても、ルールというものは一切無くすべきだというわけではもちろんありません。
組織においてルールは絶対に必要です。
大切なのは、ルールの裏側には誰かの時間や配慮や責任があるのだということを忘れず、義務や権利による行動にもそれを当然のものと思わずに感謝の気持ちを常に忘れないことです。
たった1行のマニュアルの一文も、過去に起きた失敗が二度と起こらないことを願って書かれています。
一見無駄に見える確認作業のルーティーン一つにも、誰かを確実に守りたいという思いで作られたという経緯があります。
何気ない報告義務の一言にも、責任を誰か一人に押しつけないためにという大切な意味があります。
そこが見えなくなると、ルールというものはただ面倒で邪魔なだけなものになります。
でもそこが見えている人にとっては、ルールとは誰かの優しさや経験が形になったものになります。
私は、良い会社というのは、隙のない完璧なルールがあるだけの会社ではなく、みんながそのルールの本当の意味を理解してくれている会社だと思っています。
ルールだからやるのではなく、そのルールが誰かを守るために必要なのだという感覚を持てる人が多い会社になる事を私は願っています。
ルールが増えること自体は会社の成長の証でもあるし、成長により産まれる副産物でもあると思います。
でも、そんな中で感謝が消えてしまっていってしまったら、会社はただ管理をして支配をする場所になってしまいます。
大切なのは、ただルールを守ることではなくそのルールの奥にある“人の気持ち”まで見える組織であること。
もちろん会社という組織の話だけではなく、家庭や友人関係においても同じ事が言えると思います。
そして感謝とは、ルールという当たり前の枠組みの中においての誰かの努力に気づく事で産まれるのだと考えます。