こんにちは!ながせ薬局墨俣店の薬剤師Fです。
半年ぶりのブログになりますが、今回は私が好きな戦国武将について書きたいと思います。
私が好きな戦国武将は、超有名どころではなく、ちょっとマイナーだが魅力ある人物になります。
それは、斎藤道三と長宗我部元親になります。結構二人を使用して、信長の野望を攻略した記憶があります。
今回は岐阜県に勤務していることから、斎藤道三にスポットを当てたいと思います。
まず、道三はどんな人物だったでしょうか?
道三の前半生は結構不明であります。
道三というのは晩年に出家してから名乗った名前であり、彼は出世するたびに9度も名前を変えています。
●僧侶から油商人へ、そして武士へ
生年1494年? 山城国(現在の京都府)?の生まれで、幼名は峰丸です。
11歳に京都の妙覚寺で得度し、法蓮房という名の僧侶になりました。
それから、なぜか還俗(僧侶が戒律を捨て、世俗の生活に戻ることを指します。)して、松波庄五郎と名を変えました。
その後、油問屋の娘と結婚し、油商人・山崎屋庄五郎となりました。
油の行商は大成功し、土岐家の武士に褒められ、商売を辞めて、美濃守護・土岐氏に仕える長井長弘の家臣(武士)となりました。
その後、西村氏の家名を継いで、西村勘九郎正利を名乗りました。
●恩を仇で返した人物
次に、土岐氏の家督争いで土岐頼芸の守護就任に貢献し、さらに頼芸の信任を独り占めするために、頼芸の重臣・長井長弘、つまり道三が最初にお世話になった恩人を討ってしまったのです。
その後、長井家の跡を継いで長井新九郎規秀と名乗りました。
●マムシは主君を討って、美濃を制覇
1538年に美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継ぎ、斎藤新九郎秀龍と名乗り、のちに斎藤新九郎利政と改名しました。
1541年に利政(道三)が主君の弟を毒殺し、頼芸との仲が険悪になると、頼芸を尾張へ追放して美濃国主となったのです。
一時は土岐頼芸と織田信秀から逆襲がありましたが、稲葉城攻めを撃退し、織田家と和議を結び、その証として1548年、娘の帰蝶を信秀の嫡子・織田信長に嫁がせ、完全に美濃国を制覇しました。
●息子に殺された斎藤道三
1554年に利政(道三)は家督を嫡男・斎藤義龍へ譲り、出家して道三と名乗りました。
しかし、道三は義龍よりも2人の弟らを偏愛して義龍の廃嫡を考えました。
すると義龍は弟たちを殺害し、道三に挙兵しました。
旧土岐氏の家臣たちは、道三の国盗り経緯に納得しておらず、ほとんどが義龍に味方します。そして、長良川の戦いにて義龍に敗れて戦死したのでした。
●墓所
道三の墓所の二か所をご紹介します。
<鷲林山常在寺>岐阜市梶川町9
1450年に土岐家守護代・斎藤妙椿が建立しました。
道三・義龍・龍興3代の菩提寺となっています。
<道三塚>岐阜市長良福光2494
長良川の戦いで戦死した道三の遺体は、崇福寺の西南に埋葬されました。
のちに長良川の氾濫で流されたので、1837年に斎藤家菩提寺・常在寺の日椿商人が、現在の地に碑を建てたということです。
株式会社ながせのグループ薬局のふたば調剤薬局のすぐ近くになります。(車で4分)
今度、私も墓所を巡ってみたいと思います。
●道三の魅力
目標に向かって、手段を択ばず、突き進む姿は、私には真似できないため、素直に凄いと思いました。賛否両論あると思いますが、それが戦国時代だと思います。
来年の道三まつりには、皆さま是非、参加してみては如何でしょうか。